山線は今頃、白い吹雪に閉ざされているのか、
鼓動を止めたC623号機は、冷え切った巨体を
苗穂のクラに横たえているのだろうか...。
思えば5年前迄、他人には狂気とも映るほどの山線通い。
自分の半生を振り返っても、あれ程までに燃えた、至福の時はなかったように思う。
空転の連続で喘ぎ喘ぎの登りつめた倶知安峠。有名撮影地が連なる然別−銀山。急行時代を彷彿させて軽快に飛ばした仁木付近。
羊蹄山が正面にそびえる名所「北四線」。そして究極の俯瞰地を捜し求めた稲穂峠...。
瞼を閉じれば思いでのシーンが走馬灯のように駆け巡る。
「C62ニセコ」が消えて虚脱感の中で時が過ぎていった。
友人に誘われ中国大陸に大型蒸機を追ったが、私の求めているものとは少し違っていた。
他の車輛や復活蒸機を撮っても、あれ程に熱中させるものではない。
C11の2輌目の復活と山線運転が行われるが、C11でははっきり言って役不足。桧舞台に子役が出てきたという感が否めない。
C62の代わりはC62でしかなく、荒ぶる思いは時を経ても募るばかりである。
C623をシュミレーションゲームでしか知らない若いレイルファンの間では、「C62ニセコ」自体が新たな伝説となり、再現を望む声が多いと聞く。
この5年間、他線での復活が幾度か囁かれ、期待を持たせたが、いずれもやがて消えていった。
バブル経済に乗じて蘇った経緯のあるC623の復活は、今なお、バブル崩壊の後遺症に喘ぐ、現在の日本においては時期尚早であるのかもしれない。
しかし、各地で蒸機が復活の狼煙を上げる話をきくたび、「C62伝説」の第三章の幕開けを願わずにいられない。
頑張れ!!JR北海道
COMEBACK!! C623不死鳥の如く。
RailMagazine 200 (2000年5月号) 寄稿「COMEBACK!!C623」より。